YouTube動画の作り方あれこれ
自分が初めてYouTubeに投稿したのは、2008年の6月。
浦千鶴子さんに唄っていただいた「静かなる太陽の下で」。
歌詞に合う写真を拾い集めてきたのと、自分が撮ったわずかな動画による構成。
動画が左右反転しているんですが、それを直す術も知らなかったような頃ですよ。
そんなモノでも投稿したら、いつだかネットラジオで聴いたのをもう一度聴きたいと思って探していたとおっしゃる方からコメントをいただけて、それはもう嬉しかったな!!
静止画像(写真)一枚だけで投稿しているものもある。
「ハルモニウムと金の風」。
これは、歌詞をじっくり聴いていただきたいし、下手な動画を付けると陳腐になりそうなので、静止画でいいかなと。陳腐な動画を付けたくないけれどYouTubeにアップしたいという時は、静止画像でいいと思う。静止画像だから聴いてもらえないという事はないのだから。実際、私がいいなあと思って何度も再生している音楽モノには静止画像1枚のが多い。変に動画に気を取られず、音楽に集中出来る良さがある。
私は時に比喩的な歌詞を書くので、伝えたい内容がわかっていただきにくい事があって、それを少しわかりやすくしようと思って動画にしているのが「ぼくらきんぎょ」「クロワッサンの唄」など。
「ぼくらきんぎょ」は金魚の唄ではなくて、まるで水槽の中の金魚みたいにネットの世界を泳いでいる自分たちを表現したかった。実際の人との触れ合いはごく希薄で、その手を握って体温を感じたこともない。なのに、日々その関係や発言に心が揺らぐ。
「クロワッサンの唄」も同じくパンのクロワッサンでなくて三日月の唄。月は遠くにあるもので、触れることは出来ない。同じく、目にしても触れることの出来ないものは多々あるし、手に入れる幻想など脆く壊れるものだという唄。(なのかな?自分でもよくわからず感覚まかせに漠然と作っています。^^;)
手探りながら動画にしてみて、何かしら私が表現したいところを感じて下さった方々もおられるようで、それはとても嬉しいことです。
作品は、作者の手を離れて飛び立ったら、どこでどうなろうと知ったこっちゃないのですが、生みの親としては、なるべく上手く飛ばせてやりたいという気持ちの表れの一つが、動画制作かなと思っています。
その手法に正解というのはなく、それぞれの楽曲なり歌詞なりに合った表現が出来れば良いんじゃないでしょうか。
音だけでは伝え足りないものを伝えようとするとか、音だけで充分なものは無駄に動画を付けないとか。生演奏や生歌でアップ出来るなら、そのまま演奏したり唄っている動画をアップするにこしたことはない。下手にあれこれ創作動画をアップするより伝わるから。
ついでながら、自分のぬいぐるみ動画シリーズについては、これは手間がかかるので正直作るの面倒臭いのですけど、クレイアニメ作ったり手描きでイラストを繋げておられる方々よりはかなり楽をしています。メルヘンな世界観にも合う表現だし、逆に生々しい日常を俯瞰的におどけて表現するのにも向いていると思います。
そんなこんなで、動画をアップするにもやり方いろいろで、正解などないので、出したい人は出したいように出せばいいと思うのです。
ただ、どうしてそういう”形”にするのかという必然性が感じられないモノは表現として弱いかも知れません。自分は、そこのところを考えたり感じたり学んで思考錯誤中で楽しんでいます。聴いたり観たりして下さる方がたとえ数人であっても、ちょっと心に引っかかる(残る)ものを作れたらいいなと思います。歳くっても勉強したいことだらけで幸せだ。人生に退屈しない。
上手くやりたくて上手くやれないモノが沢山あるほど、子供みたいにワクワクしながら生きていられるように思う。悔しいことも多いけどね。(笑)負けが多ければ多いほど、世の中には素晴らしいモノが沢山あって嬉しいことじゃないですか。
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