冨田勲氏のアルバムと映画「砂の器」

いえ、その二つに何の関係もないのですが。


ゆうべ、久々に冨田勲さんの音楽を聴いてみようと思って、YouTubeで聴いたのですよ。

冨田勲さんのアルバムは過去に持っていて、それも「惑星」だったかと思いますが、再生した瞬間、それまで持っていたシンセサイザーの音に対する偏見(正直、嫌いでした。)がいきなり吹き飛び、「何だこのオーケストラをも凌駕する表現は!!」とおののき感動したものの、そのアルバムを人に貸したらそのまま返ってこなくて、私自身そこからヴァンゲリスやミッシェルジャールも聴き出したものですから、富田さんのシンセ音楽はそれ以降ほぼまともに耳にしていなかったのです。

で、久々に聴いて、アルバム再生時間の50分超、スピーカーの前で固まって全く動けなくなってしまいました。

これは、絶対!スピーカーで聴くべき!!スピーカーといってもWindowsのPCに付いているようなスピーカーなら、まだヘッドフォンの方がマシかもですが、、とにかく、スピーカーで聴きたい音楽。

音が全て見えるのです!その所在、形、触れた時の感触までも感じられる。

ある音は風にそよぐ薄紙のようであり、ある音は鋼鉄の塊のようであり、、、。

走ったり、回ったり、揺れたり、跳ねたり、落ちてきたり、天高く昇っていったり、、、。

目を閉じて聴くと、自分は音が見せてくれる空間を、まるでその場にいるように見渡す事が出来るのです。まさにヴァーチャルリアリティーです。

なんと凄まじい表現力を持った人だったのだと、感動というより感激を覚えました。

このような人が存在してくれたのだということに、感激したのです。


イマドキの、正体あるのかないのかわからない音にコンプリミッターの類をやたらとかけまくった音源は、アクリル板で作った幅2m、高さ1m、奥行きがよく出来たもので10mぐらい、かなりよく出来たもので50mぐらい、酷いものだと15cmぐらいの箱にギュウギュウと音を詰め込んであるように見えるのが多い音源とは全くの別次元。

”音圧”とは、まさにこれだと思います。手を伸ばせば触れられそうな音の存在感。今目の前でその音が鳴らされているような体に感じる音の振動。”音量”とは別物だと思います。いくら大音量でも、その存在が”見え”なければやかましいだけで存在感はないのです。

で、それを聴いたあとで、最近とても気になっている俳優(もうとっくに亡くなられていますが)加藤嘉さんが出演されている「砂の器」という古い映画を観ました。

演じておられる役者さん達は素晴らしい方々が揃っているし、脚本、演出、構成、カメラワーク、音楽等々、何をとっても並々ならないものを感じるけれども、やはり加藤嘉さんのあの演技が圧巻でした。彼のあの演技力があるからこそ、台詞を流さずに音楽と映像だけで観せる(魅せる)部分を主にした終盤数十分のパートが、あの映画を名作たらしめたのではないかと。

彼を起用して最高に活かした野村芳太郎監督も凄い。


音楽と映画で、心が痺れるような感動を覚えて、もうその後は何をする気も見聞きする気もせずそのまま寝ましたが、翌日になってから、今生きていられるからこそ、そういう素晴らしいものに触れることの出来るということに深く感謝した次第です。

生きている間は、大量の感動体験チケットを持たされているようなもので、それをどんどん使わなければなんと勿体無いことだろうとも思いました。

Sigil Project(Sigil*WAJIN)official web site

こちらは宅録ミュージシャンSigil*WAJIN(わじん)及び不特定メンバーユニットSigil Project(シギルプロジェクトのwebサイトです。 シンセ、鍵盤ハーモニカ、ハルモニウムやボウドプサルテリーなど民族楽器を用いて、ノンジャンルにインスト、歌物を作っています。 ブログにはお気に入り機材のレビューを書くこともあります♪

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